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「長い文章が読めなくなった」は本当か?
2026-09-24
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「若者が長い文章を読めなくなった」という記事をよく見かける。

たいてい、良くないこととして語られている。

本当にそうなのだろうか。

そもそも、なぜ読めなくなったのか。

長いから読めないのではなく、密度の低い文章を読まなくなったのではないか。

実際、昔は喜んで読んでいた本も、今読み返すと、密度が低くて、魅力を感じないことが多い。

300ページくらいある紙の本でも、言いたいことは、最初の4分の1くらいでだいたい出尽くしていて、残りの4分の3は蛇足だったりする。

同じ話を別の角度から繰り返したり、本筋から外れたり、あまり確信の持てない話を広げたり。

昔から、うすうすそう感じてはいた。

それでも、当時は喜んで読んでいた。

自分が興味を持った分野の活字は希少だったし、半分は娯楽だった。

知りたいことが分かるだけでなく、その分野の文章を読みこと自体が楽しかった。

でも今は、TwitterをはじめとするSNSによって、短い文章に高濃度のメッセージを詰め込む文化に慣れた。

そうした文章が、延々と流れてくる。

だから実は、私たちが文章を読んでいる時間は減っていない。

読んでいるものが、高密度だが互いにつながっていない、断片的な情報に変わった。

そんな文章を際限なく読める中で、一続きではあるものの密度の低い文章を読むと、時間を無駄にしている感覚になる。

それで読む気が失せるのではないか。

紙の本には出版や流通のコストがかかる。

原稿を書き、印刷し、卸や小売を通じて読者に届けなければならない。

一度の出版でなるべく高い価格をつける必要があり、そのために内容が「水増し」されていた気がする。

一方で、配信コストがゼロになれば、伝えたいメッセージが持つ本来の長さまで、文章が縮められる。

その結果が、今の短文文化なのだと感じる。

 そしてこの変化は、今に始まったことでもない気がする。

 SNSが登場する前にも、私は同じようなことを感じていた。

18世紀の古典などを読むと、まどろっこしい婉曲表現が延々と続いている。

「もっと端的に書いてくれ」、「昔はなぜこんなにダラダラ書いていたのか」と思ったものだ。

18世紀の知識人も、SNSが登場する前の私たちを見たら、「長い文章が読めない」と嘆いたかもしれない。

「最近の若者は」というやつである。

 だから、「長い文章を読まなくなった」こと自体は、それほど心配することではないと思う。

 「知的な文章を読めなくなった」なら問題だ。

しかし、「密度の低い文章を読みたくなくなった」のであれば、単に、より読み応えのある文章を求めているだけだ。

その要求に応えて、密度の高い文章が次々と生まれ、それを読むことで社会全体の情報処理能力も上がっているのなら、むしろ良いことだと思う。