思考ADHDは如何にして幸せに生きられるか?

前記事では思考ADHDなる概念を提唱し、特有の困りごとや行動ADHDとの対比に関し考察した。
本記事では、思考ADHDが幸福になるための、仕事や生活について考えてみたい。

思考ADHDの幸せな仕事

思考ADHDが仕事を選ぶ上では、行動力が差別化要因になる営みを避け、思考力が勝負の分かれ目になるものを選んだほうが、幸せになれるであろう。

行動力が差別化要因になる営みとは、とにかく無心で数を打つタイプの仕事である。
例えば、既製品の飛び込み営業である。
顧客毎に製品をカスタマイズしたり、テーラーメイドの提案をする余地はなく、とにかく会ったことがない人間と接点を作り、台本ベースのセールストークを述べる。
飛び込み先をどこにするか、とか、台本をどう作り込むか、において多少、思考する余地はある。
しかし基本的には、どれだけ心を無にして、気合と根性でゴリ押しできるか、の勝負と思われる。
だから思考ADHDは、既製品の飛び込み営業をしてはならない

そんなの当たり前って?
しかし世の中には、「隠れ既製品飛び込み営業ジョブ」というのが、結構ある。
例えば、ITスタートアップ
ソフトウェア産業は実のところ、参入障壁が極めて低く、先端領域もあっという間に競合に溢れ、飽和状態になる。
これは、雨後の筍が如きAIスタートアップ群を見れば、一目瞭然であろう。
そのため、勝ち負けは営業力の差に帰着することが多い(Paul Grahamが言うところの「スケールしないこと」)。
よって、思考ADHDが、「よぉし、パパ事業戦略とか得意だから、ITスタートアップとか始めちゃうぞ!」とかいって、実行に移すと、思ったより苦労することになる(ソースは私)。

では逆に、行動面では全く差別化されず、思考が全て、というような仕事は何か。
数は極めて少ないが、例えば株式投資などはそうである。
行動は、株を売買する際のスマホタップだけである。
後はひたすら、情報のインプットと思考のみだ。
またコンテンツ配信も、思考の割合が大きい。
考えたことを人に伝わる形にまとめて、スマホをタップし投稿するだけだ。
不特定多数と双方向コミュニケーションを取るタイプのコンテンツ配信の場合、飛び込み営業的な「無心でやる」側面が強くなるが、一方通行に徹すれば、問題は解消される。

前述したように、思考ADHDと行動ADHDは0/1ではなく、グラデーションなので、上記の極端の例の間に、無数の職種が存在する。
例えば私が新卒で入ったコンサルファームなどは、かなり思考ADHD向きの職業であるし、営業でも受注生産ビジネスなら、提案力や調整力が必要になるので、思考力を活かせる局面もあるだろう。
自分がどこまでなら許容できるのか、思考や経験を通じて、探ることが重要である。

思考ADHDの幸せな生活

前記事で触れたように、思考ADHDの文化は、熟考と議論・遅レス・長文・学会・長尺映画・大量の本であり、行動ADHDの文化は、即断即決・即レス・短文・SNS・短尺動画・大量のスマホ通知で表象される。

スマホやSNSの普及により、社会全体が行動ADHD的な文化に傾斜しており、思考ADHDにとっては居心地の悪い風潮が強まっている。
こうした趨勢の中では、好ましくない文化様式が生活に侵入してくるので、強い意志を持って、自身の文化的感性を防衛するしかない。

例えば私は、以下のようなことを実践している:

  • 多数の表層的な事項に関し、即断即決を求められる?
    → 本質的な事項を長考できるよう、些末な事柄は全て無視、またはアウトソースし、決断事項を少なくする
  • どうでも良い事に関し、即レスを求められる?
    → 連絡を取ってくる人間を極限まで削り、連絡を放置・無視することを厭わない
  • 短文SNS?
    → SNSは極力やらず、やるにしても双方向性を極限まで減らし、一方通行コミュニケーションに徹する
  • 短尺動画?
    → いくら流行ろうとも、tiktok等の素人短尺動画は見ず、高品質な情報番組や映画だけを見る
  • 大量のスマホ通知?
    → スマホ通知は全て切り、何をいつ見るかは、全て自分が決定する

また、以下のようなことも実施している:

  • 漫然と世相を追うのをやめ、具体的な問いやテーマがない限り、情報を接種しない
  • ニュースは、2~3つのオールドメディア経由で接種し、SNS(Youtube含む)上の解説や、コメントとして展開される素人のお気持ち表明には一切触れない
  • 観念に寄りすぎて身体性がおろそかになるのを防ぐため、毎日運動をする。その際も、思考せずにいられないため、身体に関する問いやテーマ、仮説を常に持ち、解を探す形で運動をする(このフォームで筋トレを何日やると、どのような感覚が生まれ、身体はどのように変化するか?等)

細かい事項は他にも無数にあるが、要するに、「思考専念タイム」を極限まで増やし、他の行動を極限まで削っていくことが、思考ADHDが幸せに生きるコツである。

AIと思考ADHD

最後に、AIが思考ADHDの社会的立ち位置に与える影響に関する印象を、簡単に述べたい。

前述したように、ウェブやSNSが浸透した結果、過去20年ほどは、行動ADHDが強い時代であったように思う。
これは、情報爆発と金余りにより、行動が相対的に希少になったためと言えよう(繰り返しになるが、Paul Grahamが言うところの「スケールしないこと」)。

一方で、AI時代においてはどうか。
人は、行動の量で、AIエージェントに勝てないのではないか。
AIエージェントは、人間より圧倒的に早く、安く、長く行動し続けられる。
従って、AI時代に希少となるのは、行動の量ではなく、質ではないか。
AIに何をやらせるかが重要となる。
そうした世の中になった場合、深く、高品質な思考をしてきた、思考ADHDに優位性があるもしれない。

このあたりは、また別記事で考察してみたい。

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考える人

思考ADHD。思索を共有します。 関心領域は、集団に係る意志の解釈と創造。 主に、政治・経済・社会・文化について考えています。