日本人を『和』を選び、『批判的精神』を拒絶した【2026年2月衆院選挙の総括】

選挙結果を受けて、左派の敗因を戦略・戦術レベルの失敗(SNS配信や中道結成)に求める声がSNSに散見されるが、全然違うと思う。

日本国民は、高市が提示した「和の精神」を選択し、戦後に移植された「批判的精神」を拒絶した。

「大和民族」が本来持っている心象が、素直に立ち現れただけではないか。

裏金や討論拒否、様々な舌禍に対する批判は全て、「明るい日本を取り戻すための団結(=和)を乱す悪口」として処理された。

選挙特番における太田光と高市のやり取りは、これを表象しているように思われる(要約:太田「公約を実現できなかった場合、どう責任を取るのか?」→高市「これから意頑張ろうという時に、できなかった時のことを言うな。意地悪な質問」)。

西川貴教や黒沢年雄など、芸能界からも、「野党は批判ばかり」との言説が多々見られたが、要は「ポジティブな気分に水を差すな」ということでであり、批判に対し論理的に反論するでもなく、そもそも批判をすること自体が悪、というスタンスであった。

そうした姿勢は、丸山眞男の著作や「失敗の本質」等で、散々語られ、分析され、転換が試みられたものであるが、戦後レジームからの脱却を掲げた安倍・高市により、集団の潜在的気質を増幅させる装置としてSNSが動員されたことで、見事に復活した。

つまり、選挙の総括としては、こうである:

高市が放った「和の国」の空気感に、国民が感性レベルの共鳴している中で、「批判的精神」に基づく国作りを標ぼうする左派陣営が、戦略・戦術レベルで何をしたところで、勝てなかったのではないか。

左派は、負けるべくして負けたのである。

というか、もっとあけすけに言えば、ネット時代に即した、本来の気質を抑圧する「新GHQ体制」を強制インストールしない限り、この国において、『批判的精神』が主流になることは、未来永劫、ない。

では、それを前提として、今回の選挙結果をもって、自らの価値観や在り方が、「大和民族」の本質と合わないことが露呈した人々は、どうすれば良いか。

現実的な手段として、海外移住がある。

実際、欧米に目を向けると、ナショナリズム・ポピュリズムは日本と同様、流行っているものの、批判そのものを忌避する風潮は、ほとんど見られない。

トランプ(米)やファラージ(英)、ルペン(仏)は、自らも政敵を激烈に批判するし、「〇〇党は批判・悪口ばかり」とする言説が人々の口端に上るのを、私は見たことがない。

これは、「和を乱さず、空気に従うこと」を成熟と見るか、幼稚と見るか、根本的な価値観、つまりは文化的DNAの問題である。

だから、いくら国家機構という「コルセット」を装着したところで、日本に『批判的精神』を根付かせるのは無理なのと同様、欧米から『批判的精神』を取り除くことも、また不可能である。

従って、『批判的精神』が実存レベルのDNAになっている人間にとって、日本で頑張るより、欧米に移住したほうが、幸せになれるのではないか。

実際わたしは、3年ほど前に欧米のとある国に移住したが、日本よりも圧倒的に居心地が良い。今回の選挙を受けて、日本を出てよかったと、家族一同、心から思っている。

この記事にも書いたが、これからの時代は、価値観をベースに、どんどん国家を移動していったほうが良いと思う。

実際、『和』>『批判的精神』という図式を生理的に許容できない日本人が、どれだけ社会貢献を試みても、根本的な価値観が合わない以上、大多数から「反日」扱いで、「そんなに嫌なら、日本から出ていけ!」と罵倒される。

そこまでして、日本に住みたいか?

「それでも住む!」という人は、もう聖人レベルで郷土愛が強く、同胞を見捨てられない方々なので、心から尊敬する。

私は無理なので、日本人の非合理性に賭けるポートフォリオを組んで、日々「ホクホク」しながら、祖国の行く末を、海外から見守りたいと思う。

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思索日記